薬師堂ほっと通信

人生は敗者復活戦!

「人生は敗者復活戦!」

 1982年夏、「やまびこ打線」と呼ばれる強力打線が甲子園を席巻した。夏1回・春2回の全国制覇を果たした徳島・池田高校である。

高校野球ファンはもちろん、あまり知らない人でも一度はその名を耳にしたことのある強豪校である。

チームを率いたのは蔦(つた)文也監督。ずんぐりとした体に、人懐っこい笑顔。そのチームカラーと重ねられて“攻めだるま”との愛称がつけられた。

しかし、圧倒的な打撃力で栄光を極めた池田高校その裏側には知られざる蔦監督の激動のドラマがあった・・・

 

時は、1944年。蔦は静岡の海軍飛行場にいた。

当時は、戦死の影響で甲子園の全国大会は中止されるようになっていた。21歳の蔦は、同志社大学から学徒出陣し、いつ特攻隊員に招集されてもおかしくない状況だった。死を前に、恐怖する日々。

そんなある日、飛行場で野球の紅白戦をすることになる。

ピッチャーは蔦。隊員らが声援を送る。道具もユニフォームもボロボロ。けど、満面の笑みでボールを追いかける兵士たち。

蔦の球を受けたキャッチャーの稲岡正隆は、「カーブのサインを出すと、彼が嬉しそうに笑うんですよ。声援はすごいし、とても戦争中の雰囲気じゃなかったですよ。」蔦も後年振り返る。「軍隊で唯一の楽しい思い出だった」

その後、特攻隊員として出撃命令を受けながら、搭乗機が足りずに終戦を迎えた。助かった命を野球に捧げようと決意する。

地元池田高校の監督に就任。20年に及ぶ悪戦苦闘の日々を過ごし甲子園初出場。「山あいの町の子供に、一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ」の名言を残す。

 

「人生は敗者復活戦の繰り返し」が蔦の人生訓であり、蔦は「負けることは恥ずかしいことでも何でもない。負けたらまたチャレンジすればいいことぞ。本当に恥ずかしいんは、負けたことで人間が駄目になってしまうことじゃ」

 

甲子園で敗退後、3年生に送った言葉に感動する。「今まで野球で、勝てとしか言ってこなかったが、あれはウソや。全国制覇する1校を除いて、みんな負けるのが高校野球じゃ。高校野球なんてもんは一生の一部や。これから長い人生で勝ち続けるのは無理。大切なことは、腐らず、生きて生きて生き延びること。人間死んだらあかんのや。人生は敗者復活戦や。ワシも池田高校を甲子園に連れてくるのに20年もかかった。せやからお前らもこれから負け続けても頑張れ」

 

たけしは言う。「スポーツで何が自分の人生において役に立つかというと、負けること。勝つことの素晴らしさもあるけど、実は負けることに耐えられる人になるというのは意外に必要」

 

「高校野球100年の真実、心揺さぶる真夏のストーリー」より

 

私も高校で野球をしていたこともあり、高校野球の大ファンです。 毎年多くの試合を見ています。 高校球児の一生懸命さや、一つのプレーで流れが変わったり、弱いチームが強いチームに勝ったり、いろいろなドラマがある所が大好きです。

蔦監督の池田高校と言えば、たった11人の部員で甲子園準優勝をしたという奇跡もありました。 「全国制覇する1校を除いて、みんな負けるのが高校野球」 「人生は敗者復活戦の繰り返し」いい言葉ですね。 今年の夏もたくさんの試合(ドラマ)を見て、たくさんの元気を頂きました。 

全国の高校球児に感謝! そして、お疲れ様です。